太平洋が一望できる土佐鶴のきき酒室。濃紺の二重輪を浮かべたきき猪口が整然と並び、今日もきき酒が始まる。きき酒は常に真剣勝負、評価が低ければ当日製造した酒はすべて出荷されない運命となる。張りつめた空気の中で、まず立ち香を慎重に確認した後、定量を口に含んで素早くしかも丹念に味と含み香を調べる。吐き出した後、押し味を確認して酒の特徴を正確に記録し評価する・・・・・

 土佐鶴には「きき酒の名人」田村隆夫がいる。
 平成三年五月、東京。二度目のきき酒選手権全国大会に出場した田村の前には1から11まで番号を記したきき猪口が並び、それぞれの猪口には全国各地から集められた有名銘柄酒が名を伏せて注がれている。競技は左右のテーブルにある酒のマッチング(きき合わせ)。全問正解の確率は4000万分の1と想像を絶するほど低い。
 「始め!」の合図とともに深呼吸をした田村は一瞬目を閉じて集中。そしていつもの動作できき酒を開始し、一つずつ丹念に酒をきいては香りと味を記録していく。数分で全てをきき終えたが、一旦5番と8番の猪口に戻り、香りを確認して頷く。再び審判から合図があり、次は右のテーブルへ。そこにはイからルまで符号をつけた11点の酒が待ち受ける。もちろん中身は先ほどと同じだが、順番は全く不明。田村はもう一度深呼吸をしてから再びゆっくりときき始める。一つ酒をきいては先ほどの記録と照合して答えを記入。イの酒は5番、ロは9番・・・。最後の酒をきき終え、答えはピッタリと収まった。全国から選抜されたライバル達約60名が全てきき酒を終えた後、成績発表と表彰式が始まる。結果は田村のみ全問正解で優勝、二度目の日本一に輝いた。

 「自分にとって美味しい酒が、土佐鶴の愛飲者全員にとって美味しい酒でなければならない。それが何よりもきつい。きき酒選手権のほうが、ある意味では楽かもしれません。でも、時おり行く居酒屋で『土佐鶴、美味しいね。』と言葉をかけられると、自分の子供がほめられたみたいで本当にうれしいです。」きき酒の名人はやさしい笑顔で、そう語った。
昭和58年
土佐鶴酒造鰍ノ入社。以来、数々のきき酒大会で入賞。
昭和60年   高知県きき酒選手権優勝。四国きき酒選手権団体優勝。
昭和61年    高知県市販酒きき酒大会団体優勝。
昭和62年    高知県市販酒きき酒大会団体優勝。
昭和63年   全国きき酒選手権で優勝してはじめての日本一に。
平成元年    高知県市販酒きき酒大会優勝・団体優勝。
平成 3年   四国きき酒選手権優勝・団体優勝、同年の全国きき酒選手権で11銘柄を全問正解して優勝し、二度目のきき酒日本一に。
平成 4年    さらに注目を集めた翌年、再び完璧な成績で優勝し史上初の三度目の日本一を獲得。
平成 7年   過去の入賞者をすべて集めた「全国きき酒選手権・記念大会」に
特別出場し、これも全問正解で優勝。